軽井沢の小さなガラス工房 『てとひ』、きまぐれ雑記。
by moto-fuji
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1
・6話『Lauschaの娯楽。』
前回まで村のガラスのこと職人さんのことを綴ってきたLauscha見聞録ですが、
今回から数回、村人や私自身の職業からはなれた時間の過ごし方や食べもの
のことについて書こうと思います。
ドイツの都市部とは異なる日常や食も、私にとっては小さな村と人の魅力を
きわだたせてくれるものでした。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
『じゃ、このあと○○時にKegelbahn集合で!』
間借りしていた家から真っ直ぐに坂を下ること、約10分。
旧東時代には器械体操の練習場として使われていた古びた白い小屋の場所を示します。
週1くらいのペースであしを運んでいただろうか?
Lauschaでの日常の娯楽スポットといえば・・・
映画館や劇場なんかのおおきな施設ではなく、片手で納まる数のいくつかの酒場か
みんなから“Kegelbahn(ケーゲルバーン)”と呼ばれているKegel(ケーゲル)場。
Kegel はこの地方で盛んなボーリングに似たスポーツのこと。
入口の扉を開けると使われなく
なった古い練習器具が向かいの
壁越しにのぞくという、レトロ
でちょっと不思議な空間。
中では穏やかなローターとウルセル
夫妻が迎えてくれます。
ウルセル(左)は元小学校教諭で、
今も何かと村のみんなの良き相談
相手でもあるお方。
いろいろお世話になりました。
ここは村で数少ない複合
レジャー施設みたいなもので
昼間はカフェとして、
夕方からは酒場として、
サッカーのビッグマッチがある
時等は、スクリーンが登場して
スポーツバーとしての機能も
併せてもっています。
2006年、ドイツワールドカップ
の時は盛り上がりました。
ここのレーンは2本のみ。
ボーリングの玉より一回りちいさな
ボールには穴が無く、手のひらで抱え
持つようにして投げるのと、ピンが
9本というのがボーリングとの違い。
倒れたピンは上部につながっている
ヒモが、ガガガーっと巻き上がって
なんとなく元の位置に戻る、
という簡単な仕組みになっています。
村にはここを含め2か所、お酒や軽食とともにKegelを楽しめる施設があります。
薬局とかパン屋とかスーパーはひとつずつでした。
3600人程という村の人口を考えると…
このスポーツがいかに村人に愛されているのかわかります。(笑)
私は下手だったので、Kegelのアナログな感じと、この小さな空間がゲームで
アツくなる様子をビール片手に眺める方が好きでした。
新しいこと、話題性があること、モノにあふれていること、そういったことに
敏感でいつづけることより、その人たちなりの愉しみを大切にしている暮らしぶりは
あこがれでもあります。
今回から数回、村人や私自身の職業からはなれた時間の過ごし方や食べもの
のことについて書こうと思います。
ドイツの都市部とは異なる日常や食も、私にとっては小さな村と人の魅力を
きわだたせてくれるものでした。
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『じゃ、このあと○○時にKegelbahn集合で!』
間借りしていた家から真っ直ぐに坂を下ること、約10分。
旧東時代には器械体操の練習場として使われていた古びた白い小屋の場所を示します。
週1くらいのペースであしを運んでいただろうか?
Lauschaでの日常の娯楽スポットといえば・・・
映画館や劇場なんかのおおきな施設ではなく、片手で納まる数のいくつかの酒場か
みんなから“Kegelbahn(ケーゲルバーン)”と呼ばれているKegel(ケーゲル)場。
Kegel はこの地方で盛んなボーリングに似たスポーツのこと。

なった古い練習器具が向かいの
壁越しにのぞくという、レトロ
でちょっと不思議な空間。
中では穏やかなローターとウルセル
夫妻が迎えてくれます。
ウルセル(左)は元小学校教諭で、
今も何かと村のみんなの良き相談
相手でもあるお方。
いろいろお世話になりました。

レジャー施設みたいなもので
昼間はカフェとして、
夕方からは酒場として、
サッカーのビッグマッチがある
時等は、スクリーンが登場して
スポーツバーとしての機能も
併せてもっています。
2006年、ドイツワールドカップ
の時は盛り上がりました。

ボーリングの玉より一回りちいさな
ボールには穴が無く、手のひらで抱え
持つようにして投げるのと、ピンが
9本というのがボーリングとの違い。
倒れたピンは上部につながっている
ヒモが、ガガガーっと巻き上がって
なんとなく元の位置に戻る、
という簡単な仕組みになっています。
村にはここを含め2か所、お酒や軽食とともにKegelを楽しめる施設があります。
薬局とかパン屋とかスーパーはひとつずつでした。
3600人程という村の人口を考えると…
このスポーツがいかに村人に愛されているのかわかります。(笑)
私は下手だったので、Kegelのアナログな感じと、この小さな空間がゲームで
アツくなる様子をビール片手に眺める方が好きでした。
新しいこと、話題性があること、モノにあふれていること、そういったことに
敏感でいつづけることより、その人たちなりの愉しみを大切にしている暮らしぶりは
あこがれでもあります。
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by moto-fuji
| 2013-02-25 23:09
| Lauscha見聞録。
・5話『Lauscha職人の仕事机。』
初めてドイツでお世話になった工房のボスFは本当に几帳面で、
「よい仕事をするために、作業スペースは常に整理整頓しておきなさい。」と、
常々言われていました。実際、彼の作品は丁寧できっちりした印象のものが多かった。
Lauschaの職人たちの仕事場も生みだす作品とリンクするように、それぞれ印象的。
今回はお邪魔したいくつかの職人たちの仕事場を、特に向き合う時間が一番長いであろう
仕事机を中心にして、紹介します。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
Lauschaのガラス工芸を代表する技法は特別に広いスペースを必要としません。
月から金曜、毎日ほぼ決まった時間にバーナーが設置された机に向かい、
決まったペースで仕事と休憩を繰り返す。(例外もいるけれど…)
向かい合うその机の広さが職人たちの仕事場で、机上の道具や作品から時間や想いが
漂ってくるような気さえします。
*義眼職人の机
普通の会社のオフィスのような空間に
5つくらいの机が整然と配置されていて、
医療用の精密さを求められるだけに、
常に整理整頓が行き届いている印象。
ちなみに、
BGMはアンテナチューリンゲン(ラジオ)。
*マイスターB氏の机
B氏の作品は、自然のモチーフを
そのままガラスで表現したもの。
その緻密さには衝撃を受けました。
さぞや整った机と集中できる空間で制作
していることだろう。と思いきや…
ぬいぐるみ用の義眼職人の奥様とシェア。
おまけにラジオとテレビをつけっ放し。
もう体が完全に仕事を覚えてる証し。
*ラジオメーター職人の机
伺った日は土曜日で、お仕事はお休み。
白い髭を蓄えたおじいさんが何十年も
仕事をしてきた机。
無駄なものがなくて、使いたい時に
すぐに手に届く場所に道具がある。
次の仕事がいつも気持ちよく始められる
ように整えられた机は、気持ちのよい
その人そのもの。
一番目指したいと感じるものでした。
仕事をするときは、BGM無しだそう。
*異彩J氏の机
美術館などで展示するための
過去のマイスター作品のレプリカを
数多く制作しているJ氏の机。
この小さなバーナーから、
高さ40~50cmもの作品を生みだす
テクニックをお持ちのイケメン。
本人いわく、音楽と酒が好きで…
頼まれないと仕事をしないらしい
のですが。(笑)
大音量のBGM(当然ロック)と
山積みのガラス屑の机にタンクトップ
一枚で躍動的に仕事をする彼の姿は、
完全にライブを観て味わうその感覚
と同じ。
今年も残すところ僅かとなりましたが…
私の仕事場の机はまだ片付かないままでいます。
とりとめもなく書きつづる見聞録共々、来年はきちんと整理してゆこうと思うばかり。
2013年もよろしくお願いいたします。
「よい仕事をするために、作業スペースは常に整理整頓しておきなさい。」と、
常々言われていました。実際、彼の作品は丁寧できっちりした印象のものが多かった。
Lauschaの職人たちの仕事場も生みだす作品とリンクするように、それぞれ印象的。
今回はお邪魔したいくつかの職人たちの仕事場を、特に向き合う時間が一番長いであろう
仕事机を中心にして、紹介します。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
Lauschaのガラス工芸を代表する技法は特別に広いスペースを必要としません。
月から金曜、毎日ほぼ決まった時間にバーナーが設置された机に向かい、
決まったペースで仕事と休憩を繰り返す。(例外もいるけれど…)
向かい合うその机の広さが職人たちの仕事場で、机上の道具や作品から時間や想いが
漂ってくるような気さえします。

普通の会社のオフィスのような空間に
5つくらいの机が整然と配置されていて、
医療用の精密さを求められるだけに、
常に整理整頓が行き届いている印象。
ちなみに、
BGMはアンテナチューリンゲン(ラジオ)。

B氏の作品は、自然のモチーフを
そのままガラスで表現したもの。
その緻密さには衝撃を受けました。
さぞや整った机と集中できる空間で制作
していることだろう。と思いきや…
ぬいぐるみ用の義眼職人の奥様とシェア。
おまけにラジオとテレビをつけっ放し。
もう体が完全に仕事を覚えてる証し。

伺った日は土曜日で、お仕事はお休み。
白い髭を蓄えたおじいさんが何十年も
仕事をしてきた机。
無駄なものがなくて、使いたい時に
すぐに手に届く場所に道具がある。
次の仕事がいつも気持ちよく始められる
ように整えられた机は、気持ちのよい
その人そのもの。
一番目指したいと感じるものでした。
仕事をするときは、BGM無しだそう。

美術館などで展示するための
過去のマイスター作品のレプリカを
数多く制作しているJ氏の机。
この小さなバーナーから、
高さ40~50cmもの作品を生みだす
テクニックをお持ちのイケメン。
本人いわく、音楽と酒が好きで…
頼まれないと仕事をしないらしい
のですが。(笑)
大音量のBGM(当然ロック)と
山積みのガラス屑の机にタンクトップ
一枚で躍動的に仕事をする彼の姿は、
完全にライブを観て味わうその感覚
と同じ。
今年も残すところ僅かとなりましたが…
私の仕事場の机はまだ片付かないままでいます。
とりとめもなく書きつづる見聞録共々、来年はきちんと整理してゆこうと思うばかり。
2013年もよろしくお願いいたします。
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by moto-fuji
| 2012-12-31 15:11
| Lauscha見聞録。
・4話『Lauschaの伝統をつなぐ場所。』
多様化するニーズの中で職人の存在や生みだされるものの価値も変わり、
Lauscha(ラウシャ)の“ガラス職人”も例外でない、という話。
だからこそ、その独自性と歴史を再考し伝える場所と人、の役割を考えさせられます。
今回はLauschaの伝統をつなぐ人を育てる場所…
Berufsfachschule Glas Lauscha(ラウシャ ガラス職業専門学校)についてです。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
私が、Berufsfachschule Glas Lauscha に実習生としてお世話になったのは2009年のこと…。
日本でいう中学校を卒業した年齢、15歳から20代後半くらいまでの幅広い年齢層の学生が
ガラス職人の資格を得るために、3年間ここで学びます。
1881年にLauschaに造られたデッサンと彫刻の学校が職業学校に変わったのが1923年。
工房拡大のためにガラスの絵付けや、カット技法などの実践的な職業教育を行ってきたものの、
東西統一という大きな変化を受けて、90年代に入り地域の人々の意識がより伝統的なガラス
生産の方向へシフトした経緯から、現在はLauscahの伝統技法に特化した授業が行われています。
看板がないと、それと気づかず通り過ぎ
てしまいそうな小さな校舎。
いくつかの事務室と地下に作品の展示室、
右側の建物の1階が各学年ごとの実習室、
2階は専門知識や一般教養を学ぶための
教室。
私が通っていた年を最後に、趣ある建物
は取り壊されることが決まっていたので
現在は新しくなり、隙間風は解消された
だろうけど、あの雰囲気が失われて
しまったと思うと寂しい限りです…。
ところで、職人の朝はやっぱり早い。
始業時間は7時15分。
ひとコマ90分の授業で間に10分休憩を挿み
午前中に3コマ、昼休憩の後午後ひとコマ。
村内から通ってくる生徒はとても少なくて、
皆、隣の町やもう少し便利な場所に下宿し
ながら、車や電車で通学している中、私は
行きはひたすら下り、帰りはひたすら上る
という通学路。下宿から学校まで片道45分
の徒歩通学、今となっては20代最後の年の
よい思い出です(笑)。
学校は1年目から3年目まで、各学年10人
程度の小さなクラスにわかれていて、
実技指導教員がそれぞれ一人とデッサンや
デザインを指導する美術担当の先生が一人。
1、2年目はガラスの実習のほかに、国語
や英語などの教養科目や、専門知識の
座学や試験がありますが、3年目はひた
すらバーナーに向き合います。
使われているバーナーはすべてARNORD製で
学生は、個々の専門分野にあった一台を
与えられます。
(左は私の席があった3年目の部屋の様子。)
クラスメイトと話す中で、家業を継ぐ
ためにこの学校で学んでいる生徒より、
単純にガラスという素材やガラス職人に
あこがれてこの道を選んだという学生
の方が圧倒的に多いことを知って、
Lauschaの現状を憂う多少の気持ちも、
「この場所と人たちがいれば大丈夫!」
と思えた学校生活。
朝一からバーナーに火をつけて、黙々と
与えられた課題をひたすら繰り返す。
このスタイルを日々叩き込まれるのだから
ドイツ人の職人仕事の効率に対するその
ストイックさも妙に納得したものです。
次回は、12月。
クリスマスオーナメント発祥の地してとクリスマスに縁の深いLauschaですが…
クリスマスお構いなしで、それらを生みだすストイック(?)な職人さんたちの
作業机について書こうとおもいます。
Lauscha(ラウシャ)の“ガラス職人”も例外でない、という話。
だからこそ、その独自性と歴史を再考し伝える場所と人、の役割を考えさせられます。
今回はLauschaの伝統をつなぐ人を育てる場所…
Berufsfachschule Glas Lauscha(ラウシャ ガラス職業専門学校)についてです。
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私が、Berufsfachschule Glas Lauscha に実習生としてお世話になったのは2009年のこと…。
日本でいう中学校を卒業した年齢、15歳から20代後半くらいまでの幅広い年齢層の学生が
ガラス職人の資格を得るために、3年間ここで学びます。
1881年にLauschaに造られたデッサンと彫刻の学校が職業学校に変わったのが1923年。
工房拡大のためにガラスの絵付けや、カット技法などの実践的な職業教育を行ってきたものの、
東西統一という大きな変化を受けて、90年代に入り地域の人々の意識がより伝統的なガラス
生産の方向へシフトした経緯から、現在はLauscahの伝統技法に特化した授業が行われています。

てしまいそうな小さな校舎。
いくつかの事務室と地下に作品の展示室、
右側の建物の1階が各学年ごとの実習室、
2階は専門知識や一般教養を学ぶための
教室。
私が通っていた年を最後に、趣ある建物
は取り壊されることが決まっていたので
現在は新しくなり、隙間風は解消された
だろうけど、あの雰囲気が失われて
しまったと思うと寂しい限りです…。

始業時間は7時15分。
ひとコマ90分の授業で間に10分休憩を挿み
午前中に3コマ、昼休憩の後午後ひとコマ。
村内から通ってくる生徒はとても少なくて、
皆、隣の町やもう少し便利な場所に下宿し
ながら、車や電車で通学している中、私は
行きはひたすら下り、帰りはひたすら上る
という通学路。下宿から学校まで片道45分
の徒歩通学、今となっては20代最後の年の
よい思い出です(笑)。

程度の小さなクラスにわかれていて、
実技指導教員がそれぞれ一人とデッサンや
デザインを指導する美術担当の先生が一人。
1、2年目はガラスの実習のほかに、国語
や英語などの教養科目や、専門知識の
座学や試験がありますが、3年目はひた
すらバーナーに向き合います。
使われているバーナーはすべてARNORD製で
学生は、個々の専門分野にあった一台を
与えられます。
(左は私の席があった3年目の部屋の様子。)

ためにこの学校で学んでいる生徒より、
単純にガラスという素材やガラス職人に
あこがれてこの道を選んだという学生
の方が圧倒的に多いことを知って、
Lauschaの現状を憂う多少の気持ちも、
「この場所と人たちがいれば大丈夫!」
と思えた学校生活。
朝一からバーナーに火をつけて、黙々と
与えられた課題をひたすら繰り返す。
このスタイルを日々叩き込まれるのだから
ドイツ人の職人仕事の効率に対するその
ストイックさも妙に納得したものです。
次回は、12月。
クリスマスオーナメント発祥の地してとクリスマスに縁の深いLauschaですが…
クリスマスお構いなしで、それらを生みだすストイック(?)な職人さんたちの
作業机について書こうとおもいます。
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by moto-fuji
| 2012-11-28 15:45
| Lauscha見聞録。
・3話『Lauschaのガラス事情。』
時間の経過の中でモノの価値や仕事のスタイルはすこしづつ変化していきます。
伝統のあるLasucha(ラウシャ)のガラス工芸や職人を取り巻く環境も、然り。
今回は、Lauschaのガラス工芸の現状(職人事情)についてです。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
Lauschaでは今も家内制手工業の形態で、多くの人がガラスの職に就いています。
村の通りを歩くと家ごとに小さな看板と、窓辺にはそこで作られているガラス製品や
職人がバーナーに向かい制作している様子を眺めることができます。
ひとことで「バーナーでガラスを加工する仕事」といっても、生みだされる製品により
材料の形状や制作過程、職人自身の資格などが異なります。
Lauschaの主要な工芸品として制作されているのは…
・Glasauge(ガラスの義眼)
・Christbaumschmuck(クリスマスのオーナメント)
・Massivglas(動物や人形などのかたちのガラス細工)
・Hohlglas(筒状の材料で作る器などのガラス細工) といったところ。
いずれの分野も、身体とガラスと道具が一体になった職人の淀みない技を目の当たりにすると、
同じ作り手としては、ただただ感動。そしてやっぱり憧れるのです。


(雄山羊のオブジェと医療用の義眼。仕事の質の高さが細部にわたり感じられます!)
そんな伝統の技術や、それによって生みだされたさまざまなモノたち。
そういうものが時代や社会の価値観によって脆弱なものになってしまう現象が
Laushaの村でも確実に起こっていて、個人的に寂しい思いでいっぱいでした。
敗戦による国家の分断(社会主義)とベルリンの壁崩壊後の再統一(資本主義)という変化
のなかで、生産性ばかりが重視され職人仕事の価値は薄れてしまいました。
よりよい収入を得るために、本来作りたいものを諦め、義眼職人になった者。
(医療用の義眼職人になるためには、その技術を6年かけて習得する必要があるので専門性の高さから、
高収入が期待できるとのこと。)
技を捨て、村の高台にできた工業ガラスの工場作業員になった者。
代々続く工房を閉じ、無縁の職に就いた者・・・。
そんな村人の中に交ざり、四方山話に耳を傾ける日々の中で感じたのはやはり、いまだ残る
東西の経済や文化の差。
その中で、「ガラス工芸じゃ食えない。」という理由から、後継者が育ちにくく、職人の多くは
生活や仕事の新たなスタイルを模索しているのが現状です。
一方で、
私が通っていたガラスの職業訓練学校には職人を目指す学生が各地から集っていたのも事実。
よい技と伝統は、常に見直されるべきだし、確実にここで受け継がれるのです。
次回は、その学校や授業の様子について書こうと思います。
==余談==
仕事の後、夕食の後、お決まりの場所で仲間とビール片手に憂さを晴らすのが職人の日課(?)。
「日本はガラスどうなの?」
「ガラスに限らず伝統や手仕事は、似たような状況。」そんな話もしたっけ・・・。
濃いメンツですが、皆心やさしく、真面目です。

伝統のあるLasucha(ラウシャ)のガラス工芸や職人を取り巻く環境も、然り。
今回は、Lauschaのガラス工芸の現状(職人事情)についてです。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
Lauschaでは今も家内制手工業の形態で、多くの人がガラスの職に就いています。
村の通りを歩くと家ごとに小さな看板と、窓辺にはそこで作られているガラス製品や
職人がバーナーに向かい制作している様子を眺めることができます。
ひとことで「バーナーでガラスを加工する仕事」といっても、生みだされる製品により
材料の形状や制作過程、職人自身の資格などが異なります。
Lauschaの主要な工芸品として制作されているのは…
・Glasauge(ガラスの義眼)
・Christbaumschmuck(クリスマスのオーナメント)
・Massivglas(動物や人形などのかたちのガラス細工)
・Hohlglas(筒状の材料で作る器などのガラス細工) といったところ。
いずれの分野も、身体とガラスと道具が一体になった職人の淀みない技を目の当たりにすると、
同じ作り手としては、ただただ感動。そしてやっぱり憧れるのです。


(雄山羊のオブジェと医療用の義眼。仕事の質の高さが細部にわたり感じられます!)
そんな伝統の技術や、それによって生みだされたさまざまなモノたち。
そういうものが時代や社会の価値観によって脆弱なものになってしまう現象が
Laushaの村でも確実に起こっていて、個人的に寂しい思いでいっぱいでした。
敗戦による国家の分断(社会主義)とベルリンの壁崩壊後の再統一(資本主義)という変化
のなかで、生産性ばかりが重視され職人仕事の価値は薄れてしまいました。
よりよい収入を得るために、本来作りたいものを諦め、義眼職人になった者。
(医療用の義眼職人になるためには、その技術を6年かけて習得する必要があるので専門性の高さから、
高収入が期待できるとのこと。)
技を捨て、村の高台にできた工業ガラスの工場作業員になった者。
代々続く工房を閉じ、無縁の職に就いた者・・・。
そんな村人の中に交ざり、四方山話に耳を傾ける日々の中で感じたのはやはり、いまだ残る
東西の経済や文化の差。
その中で、「ガラス工芸じゃ食えない。」という理由から、後継者が育ちにくく、職人の多くは
生活や仕事の新たなスタイルを模索しているのが現状です。
一方で、
私が通っていたガラスの職業訓練学校には職人を目指す学生が各地から集っていたのも事実。
よい技と伝統は、常に見直されるべきだし、確実にここで受け継がれるのです。
次回は、その学校や授業の様子について書こうと思います。
==余談==
仕事の後、夕食の後、お決まりの場所で仲間とビール片手に憂さを晴らすのが職人の日課(?)。
「日本はガラスどうなの?」
「ガラスに限らず伝統や手仕事は、似たような状況。」そんな話もしたっけ・・・。
濃いメンツですが、皆心やさしく、真面目です。


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by moto-fuji
| 2012-10-30 18:51
| Lauscha見聞録。
・2話『Lauschaの歴史ーGlasbläserの誕生。』
今回は、Lauscahのガラスの歴史について。
ガラス工芸っていうと、やっぱり炉の前でガラスをぷ~っと吹く様子をイメージする人が
多いと思いますが、バーナーを使ってぷ~っと吹く方法もあるんです。
Glasbläser(グラスブレーザー)と呼ばれる職人の仕事がそれ。
Lauschaでは18世紀以降バーナーを使った独自のガラス工芸技術を大切に守り、今に至ります。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
Lauscha(ラウシャ)の村があるチューリンゲンの森では、ガラスの原料となる
石英砂、石灰、それらを熔かすための燃料となる木材などの資源を豊富に入手
できたことから、15世紀の後半、すでにガラスの熔解方法が確立されていた
とされています。16世紀初頭には、その高い品質からチューリンゲンのガラスは
ヨーロッパ各地へ販売されるほどになっていました。
1597年にHans GreinerとChristoph Müllerという2人のGlasmacher(グラスマッハー)が
当時の侯爵からLauschaの村にGlashütte(ガラス工場の意)の営業許可を受けます。
これがガラスの郷としての始まり・・・415年前の話。
通常の街は、教会や役場、市場を中心にして形づくられていくけれどLauscahは
2人が作ったガラス工場でした。今でも当時工場があった場所はHüttenplatz
(直訳すると工場広場)としてちゃんと村の真ん中に。

18世紀中期になると、Johann Adam Greinerがライン川中流地方から採りいれたとされる
"Arbeit vor der Lamp" "ランプの前での仕事"という新たなガラス加工のスタイルを
Lauschaにもたらしました。
これまで工場の炉の前でガラスを加工していたGlasmacher(ガラスを作る人)に加え
机の上に設置したランプの前でガラスを吹くGlasbläser(ガラスを吹く人)の誕生。
この新たなスタイルは、19世紀に入り、石油製の燃料とふいごを使いガラスを熔かす
方法に発展、この後の村の礎となる産業を生みだすことになります。
それは…
Glasauge(ガラス製義眼)とChristbaumschmuck(クリスマスツリーの飾り)。
※1900年頃のクリスマスツリーの飾りを制作している様子。

1853年にはFarbglashütte(色ガラス工場)が建設され、村の職人が生みだす様々な
作品や製品の母体となっていて、今も同じ場所でガラス材料のすべてを手作業で
作り出しています。

ドイツにいたころ、Lauschaに暮らす就労者の8割近くがGlasmacher、Glasbläser、何かしら
ガラスとかかわり生計を立てているという話を聞いて、当時、そんな職人魂あふれる場所で
学べることにすごく感動したのを覚えてます。
ですが、何事も時代とともに変化するもの。現実は…
次回は1800年代からこの村の工芸の礎となってきた、Glasauge(ガラス製義眼)と
Christbaumschmuck(クリスマスツリーの飾り)の話をとおして村の人たちから聞いた
今のガラス職人事情について触れようと思います。
ガラス工芸っていうと、やっぱり炉の前でガラスをぷ~っと吹く様子をイメージする人が
多いと思いますが、バーナーを使ってぷ~っと吹く方法もあるんです。
Glasbläser(グラスブレーザー)と呼ばれる職人の仕事がそれ。
Lauschaでは18世紀以降バーナーを使った独自のガラス工芸技術を大切に守り、今に至ります。
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Lauscha(ラウシャ)の村があるチューリンゲンの森では、ガラスの原料となる
石英砂、石灰、それらを熔かすための燃料となる木材などの資源を豊富に入手
できたことから、15世紀の後半、すでにガラスの熔解方法が確立されていた
とされています。16世紀初頭には、その高い品質からチューリンゲンのガラスは
ヨーロッパ各地へ販売されるほどになっていました。
1597年にHans GreinerとChristoph Müllerという2人のGlasmacher(グラスマッハー)が
当時の侯爵からLauschaの村にGlashütte(ガラス工場の意)の営業許可を受けます。
これがガラスの郷としての始まり・・・415年前の話。
通常の街は、教会や役場、市場を中心にして形づくられていくけれどLauscahは
2人が作ったガラス工場でした。今でも当時工場があった場所はHüttenplatz
(直訳すると工場広場)としてちゃんと村の真ん中に。

18世紀中期になると、Johann Adam Greinerがライン川中流地方から採りいれたとされる
"Arbeit vor der Lamp" "ランプの前での仕事"という新たなガラス加工のスタイルを
Lauschaにもたらしました。
これまで工場の炉の前でガラスを加工していたGlasmacher(ガラスを作る人)に加え
机の上に設置したランプの前でガラスを吹くGlasbläser(ガラスを吹く人)の誕生。
この新たなスタイルは、19世紀に入り、石油製の燃料とふいごを使いガラスを熔かす
方法に発展、この後の村の礎となる産業を生みだすことになります。
それは…
Glasauge(ガラス製義眼)とChristbaumschmuck(クリスマスツリーの飾り)。
※1900年頃のクリスマスツリーの飾りを制作している様子。

1853年にはFarbglashütte(色ガラス工場)が建設され、村の職人が生みだす様々な
作品や製品の母体となっていて、今も同じ場所でガラス材料のすべてを手作業で
作り出しています。

ドイツにいたころ、Lauschaに暮らす就労者の8割近くがGlasmacher、Glasbläser、何かしら
ガラスとかかわり生計を立てているという話を聞いて、当時、そんな職人魂あふれる場所で
学べることにすごく感動したのを覚えてます。
ですが、何事も時代とともに変化するもの。現実は…
次回は1800年代からこの村の工芸の礎となってきた、Glasauge(ガラス製義眼)と
Christbaumschmuck(クリスマスツリーの飾り)の話をとおして村の人たちから聞いた
今のガラス職人事情について触れようと思います。
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by moto-fuji
| 2012-09-25 22:10
| Lauscha見聞録。
・1話『Lauschaというところ』
わたしが2005年に初めて訪れたLauscha(ラウシャ)。
在独中はミュンヘンと行ったり来たり、その後数回に亘り訪ね見聞きしたこと、
よい意味で、時間がとまったみたいな小さな村のこと。
いきなり投稿が遅れましたが・・・
これから月一ですこしづつ紹介していきます。
こんなとこあるんだなぁー。と知ってもらえると嬉しい。
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『Lauscha』はドイツのチューリンゲン州の南部にあるガラスの郷。
(地図の矢印の先っぽの辺りに位置します。)
わたしが行った頃はベルリンの壁が崩壊して15年以上たっていたけれど、
西側での“ガラス工芸の郷”としての知名度は正直低かった印象で、
長い伝統技術と歴史があるのに、とても残念な気持がしたものです。

以前、村の知人に「この村の人口、どれくらい?」って聞いたら「たぶん1万人弱。」と。
あとから本当は3600人と知って、全然違うじゃ~ん!!ってことがありました(笑)。
鉄道の終点があるLauscha(ラウシャ)とErnstthal(エルンスタール)というの2つの
集落からなり、チューリンゲンの森の谷間に沿うような形で家々が立ち並ぶ村の様子は、
この村の様子が長く変わっていないことを容易に想像させてくれる、そんな場所。
実際、この場所へのアクセスはドイツのどの大都市からも電車やバスを乗り継いで、
早くて大体4時間半~5時間。車だとアウトバーンをぶっ飛ばしても5時間半・・・。
こんな場所でうまれたガラス工芸の歴史は、約400年前にさかのぼります。
次回は、その歴史について書こうと思います!
チューリンゲンの森。

Lauschaの街並。スレート材の黒い家が特徴。

標高800m。空が広い。

冬はたっぶり雪が積もる。
在独中はミュンヘンと行ったり来たり、その後数回に亘り訪ね見聞きしたこと、
よい意味で、時間がとまったみたいな小さな村のこと。
いきなり投稿が遅れましたが・・・
これから月一ですこしづつ紹介していきます。
こんなとこあるんだなぁー。と知ってもらえると嬉しい。
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『Lauscha』はドイツのチューリンゲン州の南部にあるガラスの郷。
(地図の矢印の先っぽの辺りに位置します。)
わたしが行った頃はベルリンの壁が崩壊して15年以上たっていたけれど、
西側での“ガラス工芸の郷”としての知名度は正直低かった印象で、
長い伝統技術と歴史があるのに、とても残念な気持がしたものです。

以前、村の知人に「この村の人口、どれくらい?」って聞いたら「たぶん1万人弱。」と。
あとから本当は3600人と知って、全然違うじゃ~ん!!ってことがありました(笑)。
鉄道の終点があるLauscha(ラウシャ)とErnstthal(エルンスタール)というの2つの
集落からなり、チューリンゲンの森の谷間に沿うような形で家々が立ち並ぶ村の様子は、
この村の様子が長く変わっていないことを容易に想像させてくれる、そんな場所。
実際、この場所へのアクセスはドイツのどの大都市からも電車やバスを乗り継いで、
早くて大体4時間半~5時間。車だとアウトバーンをぶっ飛ばしても5時間半・・・。
こんな場所でうまれたガラス工芸の歴史は、約400年前にさかのぼります。
次回は、その歴史について書こうと思います!
チューリンゲンの森。

Lauschaの街並。スレート材の黒い家が特徴。

標高800m。空が広い。

冬はたっぶり雪が積もる。

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by moto-fuji
| 2012-08-29 23:14
| Lauscha見聞録。
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